ホーム 02【遊びに行く】 風伝おろしの中に入ってみたら、雲の中で暮らすひとがいた。

風伝おろしの中に入ってみたら、雲の中で暮らすひとがいた。

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熊野の風景、風伝おろしを目指して
師走の足音が少しづつ近づいてきた11月の下旬。
熊野地方の冬の風物詩、「風伝えるおろし」を見ようと、日の出前の国道311号線を北に走る。

風伝とは、風のよく通る峠を意味し、御浜町の尾呂志(おろし)集落には10月から5月にかけて朝晩の寒暖の激しい朝に「風伝おろし」と呼ばれる風が吹く。
御浜町の北に位置する紀和町の入鹿盆地に発生した朝霧が二つの地域を隔てる風伝峠を越え、朝霧を巻き込みながら北から南、山側から海側に吹く颪(おろし)。真っ白な雲の塊が、まるで意思をもったかのようにゆっくりとなだらかな山肌に沿うように下っていく姿は、観光客やカメラマンにっとっても、熊野地方を代表する風景のひとつとなっている。

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ミカン畑の広がる御浜町の風景を横目に尾呂志集落を目指す。トンネルを抜けた目の前に、今まさに山を下ろうとする白い塊、風伝おろしの風景があった。ふいに現れたその風景に思わず声を上げる。
慌てて撮影場所を探すが、山頂からあふれ出すように山肌を下る白い塊の圧倒的な、そして雄大な風景に見入ってしまい、今日の撮影をあきらめることにした。
真っ青な空に、山の稜線を白く縁取る雲。山の緑と、山間に広がる集落の家々。

しばらくこの風景を眺めていると、ひとつの疑問が頭に浮かぶ。
入鹿盆地の朝霧が溢れ、風伝峠を風と共に下る風伝おろし。朝霧の生まれる場所、紀和町にはどんな風景があるんだろうか。

朝霧の生まれる町へ
風伝おろしのある御浜町を後に、朝霧の生まれる町、紀和町を目指す。国道311号線をさらに進むと、風伝峠を抜け、御浜町と紀和町をつなぐ風伝トンネルに差し掛かる。日本の棚田百選のひとつであり、熊野を代表する原風景、丸山千枚田を有する紀和町。風伝トンネルを抜けると、風景が一変した。

暗い。
それまで快晴っだった空はどんよりとした雲に覆われ、今にも雨が降り出しそうな空へと変わっていた。天気予報が外れたのかとしばらく道を進むと、ひとつの考えに辿り着いた。風伝峠を越える朝霧を生み出す町。曇っているのではなく、今まさに風伝峠を越えようと風を待つ朝霧が、入鹿盆地の空に蓋をしているのではないだろうか。熊野の山々に囲まれ、空も朝霧に囲まれた、外の世界と断絶された空間。朝霧の中の風景が、まさにこの風景なのだ。

熊野市紀和町は、かつて鉱山の町として栄えた町。その歴史は古く、1200年も前から銅が採掘されていたそうだ。丸山千枚田、赤木城跡などの旧跡・名所に加え、元鉱山のトンネルを走るトロッコ列車や、自転車で鉱山トンネルを走るレールマウンテン、三重県下でも数少ないかけ流しの天然温泉、湯ノ口温泉など東紀州有数の観光エリアともなっている。

311号線をさらに進むと、大台ケ原から奈良県、紀和町と和歌山県の飛地を抜け熊野川と合流する北山川へ。かつては深い山々から切り出された木材を筏に、豊かな森林資源を運び出す水上ルートとして利用された北山川。今でも観光船が川を往来する。
川霧が立ち上る、ゆっくりと流れる北山川の風景をしばし眺めていると、広い河原で作業をするひとりの男性の姿があった。

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伝統漁法、せぎ漁
北山川を縦断するようにつながる木の堰。川の流れは堰を境に明らかに早くなる。緩やかに水をたたえた堰の上流にいた男性は、紀和町に暮らす浜中直人さん。10月から解禁となる漁法で、産卵のため河口に下る鮎、落ち鮎を獲る漁を行っている。せぎ漁と呼ばれるこの漁は、竹や木を使って川をせき止め、筏を通すために川の真ん中にあけた川の道の底近くに、短い板をつなぎ、水の勢いで動く板に驚き、川を昇り始めた落ち鮎を獲る伝統漁法。筏を通すための川の道が必要となる北山川で長く続けられてきたせぎ漁は、川とともに暮らす地域ならではの漁法なのかもしれない。

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川霧の中の移住者
20年前にこの地域に移り住んだという浜中さん。大阪で働いていたころ目にした紀和町の求人がきっかけとなり、今ではすっかり地域に溶け込んでいる。熊野市役所の職員として働きながら、紀和町を代表する火祭りや丸山千枚田で行われる虫送りなどの地域のお祭りにも積極的に参加している。せぎ漁もそういった地域の文化をつなぐ活動のひとつだそうだ。

堰の上流に張った網を、ゆっくりと引き上げる。朝霧の立ち上る川面と、山の緑、風伝峠を越える時を静かに待つ空の白い雲。川の流れだけが聞こえる、静かな鮎漁。この日は2匹の鮎がかかっていた。


”たくさん獲れる日もあるし、まったく獲れない日もある。毎日網を入れることもないし、大雨が降れば堰は流れていくんです。だから、川の魚をすべて獲ってしまうこともない。”


古くから紀和町で続けられてきたせぎ漁は、紀和町に暮らす有志が続けているそうだ。山を共同で持ち、堰を作るための木を持ち寄る。集落の皆で集まり、川の中に長い堰を作っていく。獲れた鮎は販売することなく、集落の皆で分けていくそうだ。漁をする人も、堰を作った人も、木や竹を提供した人も、すべて平等に川の恵みを受ける仕組みが、この町にはある。


”山を持たない人は作業を手伝う。作業が手伝えなければ、漁を手伝う。自分にできることで地域にちゃんと関われば、誰だって同じように鮎がもらえるんです。”


深い山間の集落での暮らしには、人と人とのつながりが欠かせないもの。紀和町には移住者と町の人がつながるためのきっかけとなる行事も多い。自分にできることで地域に関わる。紀和町に移住し、結婚し、家を建て、地域の行事に関わりながらの20年。それでも浜中さんは自分は移住者なのだと意識している。
外から来たからこそ、この地域の自然や暮らしの素晴らしさがわかる。移住者が、地域のひとと同じように伝統漁法で鮎を獲る。そんな暮らしを作ることのできる町がこの紀和町なのだと伝えることが、役割のひとつだと考えておられるそうだ。

鉱山が栄えた最盛期には1万人を超える人が暮らした紀和町も、閉山とともに人口が減少し、今では1,600人となっているそうだが、それは長く続いてきたこの地域の暮らしにとって、もしかしたら悪いことではないのかもしれない。
自然の恵みと共存し、分け合うことで成り立つ川の暮らしと、その暮らしや文化を残していくために続けられているせぎ漁を眺めていると、そんな考えがふと浮かんだ。

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せぎ漁の期間は10月から12月。12月になるとほとんど鮎が獲れなくなるそうで、例年11月に漁を終える。この日は、今年のせぎ漁の最終日だったそうだ。
風伝おろしが生まれるころ尾呂志集落の山の向こう、朝霧の生まれる町、紀和町で毎年見ることのできる暮らしの風景。来年もまた同じ時期に、北山川に堰ができる。

来年の冬尾呂志地区に風伝おろしが現れる季節に、北山川を訪ねてみれば、朝霧の川の中で紀和町に暮らすひとと一緒に鮎を取り、河原で一緒に鮎を食べながら、新しい暮らしの話ができるかもしれない。

気が付けば、空を覆っていた朝霧が山を越え、青空が広がっていた。

 

 

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